プロフィール
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新たな地平を求めて
混迷を深める国際社会・激動する社会・脅かされる生活。
安全保障・エネルギー・食料・環境・人権等々噴出する諸課題。
これらを根源的に解決するには
政治に新たな地平が必要です。
従来の固定的な発想に囚われず
新たな視点で問題解決を図ることが求められています。
出来ない理由を言うのではなく
実現可能な方法を創出するため
日夜努力を続けます。
伊藤信太郎(いとう しんたろう)
現職
自由民主党 |
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議員連盟 |
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自己紹介
誕生日 | 1953年5月6日 |
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血液型 | AB型 |
趣味 | 映画、料理 |
好きな食べ物 | 米、蕎麦 |
好きな言葉 | 行学一如 |
経歴
昭和50年 | 監督作品「かげろうの時」カンヌ国際アマチュア映画祭で銀賞受賞 |
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昭和51年 | 「荒井由実の世界」等の音楽フィルムの制作 |
昭和51年 | 慶応義塾大学経済学部経済学科卒業 |
昭和53年 | 慶応義塾大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了 |
昭和54年 | アメリカン・フィルム・インスティテュート(AFI)監督課程修了 |
昭和55年 | ハーバード大学大学院修士課程修了(Master of Arts) |
昭和55年 | 監督作品「Masked Encounter」ベルギー ユイ国際映画祭特別賞受賞 |
昭和56年 | 国務大臣防衛庁長官付秘書官 |
昭和60年 | 国際ニュース番組「CNNデイウォッチ」キャスター |
平成07年 | 玉川大学大学院非常勤講師 |
平成08年 | 衆議院議員政策担当秘書 |
平成10年 | 財団法人宮城総合研究所 理事・副所長 |
平成11年 | 東北福祉大学 感性福祉研究所 感性情報部門長 |
平成13年 | 東北福祉大学 教授 |
平成13年 | 宮城四区衆議院議員補欠選挙 初当選 |
平成15年 | 宮城四区衆議院議員選挙 二期目当選 |
平成17年 | 宮城四区衆議院議員選挙 三期目当選 |
平成17年 | 外務大臣政務官 |
平成20年 | 外務副大臣 |
平成20年 | 東北福祉大学客員教授 |
平成24年 | 大阪大学大学院客員教授 |
平成24年 | 宮城四区衆議院議員選挙 四期目当選 |
平成25年 | 自民党宮城県支部連合会 会長 |
平成25年 | 衆議院環境委員会 委員長 |
平成26年 | 衆議院東日本大震災復興特別委員会 委員長 |
平成26年 | 宮城四区衆議院議員選挙 五期目当選 |
平成29年 | 宮城四区衆議院議員選挙 六期目当選 |
令和03年 | 宮城四区衆議院議員選挙 七期目当選 |
令和05年 | 自民党宮城県支部連合会 会長 |
令和05年 | 環境大臣 内閣府特命担当大臣(原子力防災) |
主な活動紹介
国連安全保障理事会にて
自民党農林水産部会にて
東日本大震災復興特別委員会委員長として
外交を通じて国益を守る
外務副大臣、外務大臣政務官として、国連での外交、とりわけ対北朝鮮制裁決議の実現、また発展途上国支援、国際機関との関係強化に取り組みました。 現在、党国際局長として、全方位の議員外交を推進しています。
環境保護政策を進める
衆議院環境委員長として、地球規模での気候変動への対策に尽力しました。視察等を通じて得た環境問題に関する最新の知見をもとに、持続可能な地球社会の実現に向けて活動してまいります。
震災復興に尽力
東日本大震災復興特別委員長として、震災復興を推進しました。発災以来、12年以上が経過し、新たな課題も生まれてきております。被災地の皆様の気持ちを汲んだ復興政策を進めてまいります。
教育改革の推進
給食費の無償化、教育負担の軽減、教育内容の改革、教員の働き方改革、教員の個別最適の研修を進め、教育の質を高めます。誰も取り残さない教育、新たな仕事に必要なリスキリング教育、実効性のある語学教育を推進しています。
文化芸術の振興
文化芸術は人生を豊かにします。 文化芸術振興のために、文化芸術基本法、コンテンツ振興法といった議員立法を行いました。コロナ禍で苦しんだ文化芸術関係者への支援を充実させてまいります。
党広報を通じて、国民への情報提供
党広報本部長代理、ネットメディア局長として、党の進める政策を広く国民に説明することに努めました。国民の皆様との双方向なコミュニケーションに努めてまいります。